経営と労務にコストをかける理由

中小企業の経営では、目に見える支出には敏感になります。
売上が伸び悩んでいる、原材料費が上がっている、人件費も上昇している。こうした環境では、できるだけ固定費を増やしたくないと考えるのは自然です。
その中で、経営管理や労務管理にかかる費用は、後回しにされやすいものです。
外部の専門家に相談する。経営数字を整理する。就業規則や労務管理体制を点検する。人事制度を見直す。管理会計の仕組みを整える。
こうした支出は、設備投資のように目に見える資産が残るわけではありません。広告費のように直接売上につながるようにも見えません。
そのため、「今すぐ必要ではない」「問題が起きてからでもよい」と考えられがちです。
しかし、実際には逆です。
経営管理や労務管理にコストをかける意味は、問題が起きた後に処理することではありません。
問題が大きくなる前に見つけ、判断を誤る可能性を減らし、会社が余計な損失を負わないようにすることです。
特に、経営状態が悪化している会社ほど、社内の人員と時間には余裕がありません。
経営者は資金繰り、営業、採用、顧客対応など複数の課題を抱え、管理職も日常業務に追われています。
この状態で、経営や労務の問題まで全て社内で調べ、制度を作り、運用まで考えるのは簡単ではありません。
必要なところに専門家を使い、社内だけでは不足する知識や視点を補う。
それは単なる経費ではなく、経営者の判断力と会社の管理力を補強するための投資です。
目次
■ 見えない損失を減らす
専門家費用は、支払った金額が明確です。
一方で、専門家を使わなかったことによって発生した損失は、見えにくいものです。
例えば、労務管理に問題があり、後から未払い賃金への対応が必要になったとします。
会社が負担するのは、追加で支払う金額だけではありません。
過去の勤怠記録を確認し、関係者から事情を聞き、対象期間を整理し、社員へ説明し、給与計算をやり直す必要があります。
経営者、管理職、経理担当者など、多くの人の時間が使われます。
その間、本来行うべき営業や顧客対応、経営改善の仕事は止まります。
経営管理でも同じです。
採算の悪い事業を1年間放置した結果、年間1,000万円の損失が出たとします。
その原因をもっと早く把握していれば、価格を見直したり、業務量を減らしたり、場合によっては撤退したりできたかもしれません。
こうした損失は、専門家費用のように請求書が来るわけではありません。
だからこそ、見落とされます。
経営管理や労務管理にかけるコストは、「何かを買うための費用」ではありません。
将来発生する可能性がある損失を小さくするための費用でもあります。
■ 社内だけでは見えない
会社の中に長くいると、現在のやり方が当たり前になります。
昔からこの方法で勤怠を管理している。給与計算も問題なく続いている。毎月同じ資料を見て経営判断している。
長く続いているからこそ、疑問を持たなくなります。
しかし、外から見ると問題が見えることがあります。
就業規則と実際の運用が合っていない。勤怠記録の方法に改善余地がある。顧客別採算を見れば、一部の取引が会社全体の利益を圧迫している。人件費の問題だと思っていたものが、実際には業務設計や配置の問題だった。
会社内部では日常になっていることも、第三者から見れば違和感があります。
専門家を使う価値の1つは、この外部視点です。
もちろん、外部の人間が会社のことを社内の人より詳しく知っているわけではありません。
現場の事情や顧客との関係、社員の特徴などは、経営者や社員の方がよく知っています。
だからこそ、社内の知識と外部の視点を組み合わせる意味があります。
専門家が会社の答えを持ってくるのではありません。
会社が見慣れてしまった問題に気づくきっかけを作ることに価値があります。
■ 判断の速度が上がる
経営者が何かを判断するとき、最も時間がかかるのは「何を調べればよいか分からない」状態です。
例えば、社員との労務問題が起きたとします。
法的に何が問題なのか、どの記録を確認すべきなのか、本人へどのように説明すべきなのか、どこまで会社として対応する必要があるのか。
経営者が全てを自分で調べようとすれば、かなりの時間がかかります。
経営課題でも同じです。
利益が減っている原因を調べたいと思っても、売上、粗利益、顧客別採算、人件費、固定費、資金繰りなど、見るべき数字はいくつもあります。
何から確認すべきか分からなければ、分析そのものに時間を使ってしまいます。
専門家の価値は、知識を持っていることだけではありません。
「最初にここを確認する」「この資料が必要」「この問題なら優先順位はここ」というように、調査や判断の順番を短くできることにもあります。
経営では、正しい判断と同じくらい、判断の速度が重要です。
問題が小さいうちに対応できれば、選択肢は多く残ります。
数か月放置した後では、同じ問題でも対応が難しくなることがあります。
■ 社長の時間を買う
中小企業では、経営者自身が多くの役割を担っています。
営業も行い、主要顧客にも対応し、社員からの相談も受け、金融機関とも話をし、採用にも関与する。
その中で、経営制度や労務管理について自分で調べ始めると、さらに時間がなくなります。
経営者の時間には限りがあります。
だからこそ、何を自分で行い、何を他者へ任せるかを考える必要があります。
専門家を使うことは、知識を買うことだけではありません。
経営者の時間を買うことでもあります。
例えば、就業規則の改定について、経営者自身が法改正や条文を一から調べる必要はありません。
経営者が決めるべきなのは、会社としてどのような働き方を認めるのか、どのようなルールにしたいのかという方針です。
専門家には、その方針を制度や規程として形にする部分を任せることができます。
経営者が専門家と同じ仕事をする必要はありません。
経営者にしかできない判断に時間を使う。
そのために外部専門家を活用するという考え方が必要です。
■ 正解より選択肢を得る
専門家に相談すると、「正しい答えを教えてもらえる」と考える人もいます。
しかし、経営には1つの正解がないことが多くあります。
例えば、人件費が高いからといって、社員を減らすことだけが答えではありません。
業務を減らす、配置を変える、外注を見直す、価格を上げる、生産性を高めるなど、複数の選択肢があります。
労務管理でも、制度上可能な方法が複数あることがあります。
重要なのは、会社の事情に合った方法を選ぶことです。
専門家を使うメリットは、経営者が知らなかった選択肢を増やせることにあります。
自社だけで考えていると、「これしか方法がない」と思い込むことがあります。
第三者から別の方法を提示されれば、比較して判断できます。
専門家に経営判断そのものを任せるのではありません。
経営者が判断するための選択肢と材料を増やす。
それが、専門家を使う本来の意味です。
■ 問題を整理できる
経営者が抱えている悩みは、最初から整理されているとは限りません。
「最近利益が残らない」「社員が定着しない」「管理職が機能していない」「残業が多い」といった形で、漠然とした問題として認識されていることがあります。
しかし、原因を分解していくと、別の問題が見えてくることがあります。
社員が定着しない原因が賃金だけではなく、採用時の説明と入社後の仕事の違いにあるかもしれません。
残業が多い原因が人手不足ではなく、特定社員への業務集中にある場合もあります。
利益が残らない原因が固定費ではなく、特定顧客の採算悪化かもしれません。
専門家との対話には、この問題整理の効果があります。
話をしながら、事実と推測を分け、問題の原因を整理し、何から確認すべきかを決める。
経営者自身も、話すことで考えが整理されることがあります。
専門家の仕事は、答えを一方的に提示することではありません。
経営者と一緒に問題を分解し、判断できる形へ整理することでもあります。
■ 法改正だけではない
労務分野で専門家を使うというと、法改正対応を想像することが多いかもしれません。
もちろん、法律や制度の変更に対応することは重要です。
しかし、労務管理の専門家を使う価値は、それだけではありません。
法律上問題がないとしても、会社として運用しにくい制度であれば長続きしません。
逆に、現場ではうまく回っていても、制度や記録が整っていなければ将来問題になる可能性があります。
必要なのは、法律、会社の方針、現場運用の3つをつなげることです。
例えば、残業管理を厳しくするだけであれば簡単です。
しかし、仕事量が変わらないまま残業だけを減らそうとすれば、現場に無理が生じます。
業務量、配置、管理職の役割まで一緒に考える必要があります。
労務管理は、法律を守れば終わりではありません。
会社が無理なく運用でき、社員にも説明できる仕組みにするところまで考える必要があります。
■ 経営と労務をつなぐ
経営と労務は、別々の問題として扱われがちです。
経営は売上や利益、資金繰りを見る仕事で、労務は勤怠や就業規則、給与を見る仕事だと考えることがあります。
しかし、実際には強くつながっています。
利益が悪化して人件費を見直す必要があれば、配置や役割、労働時間の問題が出てきます。
事業を縮小するのであれば、人員体制も変えなければなりません。
新しい事業へ進出するのであれば、必要な人材を採用し、育成する必要があります。
経営戦略を変えれば、人の働き方も変わります。
だからこそ、経営と労務を別々に管理すると、施策が噛み合わないことがあります。
経費削減だけを優先して人員を減らした結果、残った社員の残業が増える。
売上拡大を目指して採用したものの、教育体制がなく短期間で退職してしまう。
こうしたことを防ぐためには、数字と人の両方を見る必要があります。
専門家を使う場合も、単発の制度対応だけではなく、経営全体との関係を見ながら相談できる相手を持つことに意味があります。
■ 費用対効果で考える
専門家費用を検討するときには、単純に「高いか安いか」だけで判断しない方がよいでしょう。
その費用によって何を得られるのかを見る必要があります。
例えば、50万円の労務点検を高いと感じる会社もあるでしょう。
しかし、その点検によって大きな未払いリスクや制度上の問題を早期に発見し、将来のトラブルを防げるのであれば、会社にとっては十分な意味があります。
経営支援も同じです。
月額費用が発生しても、顧客別採算を見直すことで年間500万円の利益改善につながるのであれば、単純な支出ではありません。
もちろん、専門家へ依頼すれば必ず大きな効果が出るという話ではありません。
重要なのは、何を目的に依頼し、どのような成果を期待するのかを明確にすることです。
単に「相談相手が欲しい」だけでは、費用対効果を判断しにくくなります。
何を確認し、何を改善し、何を会社に残すのか。
ここまで整理してから専門家を使うことで、費用の意味が明確になります。
また、専門家を使うときに注意したいのは、「全てを任せてしまうこと」です。
経営判断そのものまで外部へ委ねてはいけません。
専門家は会社の資料を分析し、問題点を指摘し、選択肢を提示することはできます。
しかし、最終的にどの方法を選ぶかは経営者の仕事です。
また、専門家へ依頼した制度や仕組みが社内で使われなければ意味がありません。
例えば、立派な就業規則を作っても、管理職が内容を知らなければ現場では機能しません。
人事制度を作っても、評価者が運用できなければ形だけになります。
経営管理資料を作っても、経営会議で使わなければ数字を集めただけです。
専門家の成果物を受け取ることが目的ではありません。
会社の中で実際に使える状態にすることが重要です。
専門家を使う会社側にも、考え、判断し、運用する責任があります。
■ 定期的に使う価値
専門家への依頼は、問題が起きたときだけの単発相談でも構いません。
しかし、経営や労務管理では、一定期間継続して会社を見てもらうことに別の価値があります。
会社の数字や組織は毎月変化します。
前回は問題がなかった事項でも、半年後には状況が変わっていることがあります。
また、継続的に会社を見ている専門家であれば、「以前と違う」という変化に気づきやすくなります。
経営者自身も、毎日の仕事の中では変化に慣れてしまうことがあります。
外部の人が定期的に見ることで、小さな変化を客観的に確認できます。
これは、経営者の代わりに会社を経営してもらうという意味ではありません。
経営者自身が気づきにくい変化を知らせる補助線を持つということです。
■ 専門家も選ぶ
専門家であれば誰でもよいわけではありません。
重要なのは、自社が何を求めているかです。
手続業務だけを任せたいのであれば、正確に処理してくれる専門家が必要です。
労務リスクを確認したいのであれば、書面だけでなく実際の運用まで見てくれる専門家が必要です。
経営改善について相談するのであれば、決算書を読むだけでなく、事業や組織まで含めて話ができる相手が必要でしょう。
また、経営者にとって説明が理解できるかどうかも重要です。
専門用語を並べるだけでは、経営判断には使えません。
なぜ問題なのか、どの程度重要なのか、どの選択肢があるのかを経営者が理解できる形で説明してもらえることが必要です。
専門家の肩書だけを見るのではなく、自社の課題に対してどのような支援ができるのかを見ることが重要です。
■ 畔の見方
私は、経営管理や労務管理にかける費用を、単純な間接費とは考えていません。
会社が自分自身の状態を正しく知り、経営者が判断できる状態を作るための費用だと考えています。
もちろん、多額の費用を専門家へ支払う必要はありません。
会社の規模や課題によって必要な支援は異なります。
重要なのは、自社だけで十分に管理できるものと、外部の知識や視点を使った方がよいものを分けることです。
経営数字が十分に整理されていないのであれば、まず数字を見えるようにする。
労務管理に不安があるのであれば、一度全体を点検して優先順位を決める。
人事制度が会社の成長に合わなくなっているのであれば、制度だけでなく役割や組織から見直す。
必要な場所に必要な専門性を入れる。
その結果、経営者が判断しやすくなり、問題を早く発見でき、社内の管理力も上がるのであれば、その費用には意味があります。
専門家を使う目的は、経営者が考えなくて済むようにすることではありません。
経営者が、より重要なことを、より早く、より正確に判断できるようにすることです。
経営管理や労務管理は、売上を直接作る仕事ではありません。
だからこそ、費用をかけることに迷いが出ます。
しかし、会社は売上だけで成り立っているわけではありません。
利益が残る仕組みを作り、資金を管理し、人が働ける環境を整え、問題が起きたときに適切に対応できる体制があって、初めて事業を継続できます。
その基盤が弱ければ、売上があっても会社は不安定になります。
経営管理や労務管理への支出は、その基盤を整えるためのものです。
そして、社内だけでは知識や時間が足りない部分について、外部専門家を使う。
それは、会社の弱さを補うことではありません。
自社にない専門性を必要なときに外から調達するという経営判断です。
専門家へ支払う費用は目に見えます。
一方で、使わなかったことで発生する損失は見えません。
判断の遅れ、制度の不備、労務トラブル、採算悪化、経営者の時間の浪費。
こうした見えないコストが積み重なったとき、結果として専門家費用よりはるかに大きな負担になることがあります。
だからこそ、経営や労務の問題は「困ったら専門家へ相談する」という考え方だけではなく、困らないために専門家を使うという考え方も必要です。
必要な知識と視点を外から取り入れ、自社の状態を定期的に確認し、小さな問題のうちに修正する。
それが、会社を安定して経営するためにかけるべきコストの1つなのです。
この記事を書いた人

社会保険労務士 / 中小企業診断士
谷中 憲
(たになか あきら)
中小企業にて経営企画部門と総務部門のマネージャーとして組織運営の最前線で実務経験を積む。その後、社会保険労務士および中小企業診断士の資格を取得し、経営・人事・広報の専門知識を体系的に習得。現在は経営・人事オフィス畔を設立し、中小企業の経営課題解決に取り組んでいる。企業の内側に入り込み、現場の実績を深く理解した上で、実務的で実現可能な解決策を提案することを信条としている。

